女子ラグビー 東京山九フェニックス 増田 結

《STAY GOLD》女子ラグビー「東京山九フェニックス」特集
vol.3 / 増田 結

4歳から始まったラグビーライフ!女子大生ラガーウーマンの躍進
若干22歳でラグビー歴18年の増田結は、現在大学4年生。千葉県・我孫子でラグビーと共に育ってきた、根っからのラグビーウーマン。
彼女が東京山九フェニックスへ来て4年、ここ最近の成長が目まぐるしいとチーム内でも注目を集めている。練習グラウンドまでは片道2時間半、その時間をかけても東京山九フェニックスにいる理由とは。

4歳からラグビーを始めたそうですが、きっかけを教えてください。

祖父がラグビーやっていて、その祖父があびこラグビースクールの立ち上げに関わったことがきっかけでした。最初は遊びに行っただけでしたが、すごく楽しくてそのまま通い始めました。

ラグビーのどういう部分が楽しかったのですか?

小さい頃から負けず嫌いなところがあったんです。ちょっとしたゲームひとつでも負けるのが嫌で、男の子たちの中に混ざっても、勝つまでやりたい!という感じでした。ラグビーで「勝つことの楽しさ」を覚えたんだと思います。

これまでのラグビーキャリアで壁にぶつかったことはありますか?

一度、膝の怪我をしたことがあります。高校はラグビーで入学することも決まっていたのですが、その高校入学前のタイミングでの怪我でした。今思えば無理にラグビーを続けちゃいけない怪我だったのですが、痛みがあったのに「お医者さんに大丈夫って言われたから大丈夫」と思って2ヶ月くらいそのまま続けてしまったんです。そのせいで悪化して、結果的に高校1年生の時はほぼラグビーができませんでした。休んでいる間は合宿も参加できなかったし、もう一生治んないんじゃないかと思ったり、正直しんどかったです。
でも、今振り返ればすごく有意義な時間だったと思います。それまで、選手の目線でしか見なかったラグビーの光景を一歩離れたところから見るようになって、視野が広くなったと思います。プレーに関してもそうですが、以前自分が怪我している人に対してかけていた言葉を思い返して、この言葉って意外と傷つけるんだな、とか。自分が怪我した立場になって分かったことです。
それから、「ラグビーしたい!」っていう気持ちがますます強くなって。そして怪我をしたことによって、今まで自分が当たり前にプレーできていたことは、怪我をしてしまった仲間や、周りの人のサポートのお陰で成り立っていたんだと改めて再確認することができました。そのモチベーションでグラウンドに戻ってからは、怪我する前よりも調子が上がっていましたね。

大学生になってから東京山九フェニックスに所属していますが、このチームを選んだ理由は?

高校生の時に千葉ペガサスというチームに所属していたのですが、そのチームがフェニックスと姉妹チームだったんです。その頃からフェニックスのメンバーと一緒に遠征に連れて行ってもらったりしていたので、自然とフェニックスに入ったという感じです。

マネージャーの田坂さんからは「この1年で一番伸びた選手」とお伺いしています。ご自身ではどう思いますか?

嬉しいです(照)。そう言ってもらえるとすぐ調子に乗っちゃいますけど(笑)。去年は、自分的にラグビーを楽しめなかった1年で、何をやってもうまくいかないって思っちゃって。それが一番の原因だと思うんですけど、練習も、出されたメニューを淡々とこなすだけになっていたんです。洋平さん(四宮HC)からのアドバイスでその考えを改めて、練習から試合のことを考えて、目の前の練習メニューを100%で臨むという気持ちに変わりました。

そういった悩みはチームメンバーに相談したりするんですか?

それも変わったところのひとつです。去年は自分が相談する気持ちにもなれなかった、というか1人でいろいろ考え過ぎていたと思います。だからぐるぐる悪循環になっていました。今は相談とかも気軽にするようになりました。何かひとつうまくいかなくても、「外から見ていてどうだった?」とか。逆にメンバーにも「もっとこうしたほうがいいんじゃない」とか。軽い感じで、みんなと共有できるようになったと思います。

田坂マネージャー

ユイが一番変わったのは食事の取り組みじゃないかな。去年の夏に、食べたものをコーチに報告するというメニューができたんです。私が見ていた中ではダントツ、一番いいご飯を三食きちんと食べていました。それで、秋になったら、身体もスピードも本当に変わっていたんですよ。去年までは熾烈なポジション故に控えに回ることも多かった彼女ですが、今年は、太陽生命シリーズでも毎試合出るようなウイングに成長しています。みんなからの信頼も格段に上がったと思います。

食事面は母に協力してもらいました。栄養のバランスもそうですが、それまではお腹いっぱいで終わらせていたところを、量をちょっとプラスして体重を増やしました。最初の頃は体重に変化がなくて、続けるのしんどいなと思っていたんですけど、一定期間を過ぎたら体重がいきなり上がっていって。そこからはすぐに目標体重までいきました。
体重を増やしたらスピードが落ちるだろうと思っていたので、体重に負けないくらいの筋肉量をつけるためにウエイトをとにかく頑張りました。メンタル的にもフィジカル的にも、フェニックスが私を成長させてくれていると思います。

チームには日本代表選手もいますが、刺激はありますか?

めちゃくちゃ刺激になります。考え方ひとつでも、「こういう考えもあるんだ」「そういう風に思っていたんだ」とか。代表に行ってきたメンバーが持って帰って来た経験などをチームにシェアしてくれるので。それをみんなで共有できるのは、フェニックスの強みだと思います。私だったら、大黒田裕芽さんから「もっと自信持って勝負していいと思うよ」と言ってもらえたのは、すごく嬉しかったです。日本代表の人からそういうことを言ってもらえたのが励みになりました。

最後に、今後の目標を教えてください。

一番大きい目標は、やっぱり日本代表。その前に、もっとフェニックスに貢献できる選手になれたらと思っています。フェニックスで貢献できる選手って、代表にも入れる選手だと思うんです。フェニックスは、そういうレベルのチーム。だから、大きい目標を叶えるために、まずはフェニックスで貢献できる選手になりたいです。今はラグビーが一番だから、それしか考えられないですね。

東京山九フェニックス

2013年に設立された女子ラグビーチーム。
チームメンバーは仕事や大学での勉強をしながら、ラグビーと向き合っている。当時は練習場所もなく、渋谷区にある小学校の校庭を借りて練習を実施していた。現在は、神奈川にあるグラウンドを使用しているが、設立当初よりチームの拠点は常に渋谷区としている。
常に最先端の情報や文化を発信し続ける、ダイバーシティーの街「渋谷」。チームスピリットとして、「ダイバーシティーの街、渋谷発のデュアルラグビーチーム」として、新しい女子スポーツ文化を創造し、渋谷から世界へ女子ラグビー文化を発信していく。チームの母体は2002年に作られていて、来年で20周年を迎える。15人制においても、7人制においても、日本代表選手を常に輩出している。監督は元日本代表選手の四宮洋平。2019年度より、山九株式会社がネーミングライツスポンサーとなり、<東京フェニックス>から<東京山九フェニックス>に名前を変更している。

東京山九フェニックス 公式アカウント

profile

増田 結 / Yui Masuda
2000年生まれ、千葉県我孫子市出身。
4歳からあびこラグビースクールにてラグビーを始める。我孫子高校/千葉ペガサスラグビークラブを経て、東京山九フェニックスに入団。現在は麗澤大学4年に在学中。ポジションはWTB。趣味は、キャンプ・サーフィンといったアクティブガール。

instagram@yuuui0612 x@yuirugby0612 オフィシャル後援会 https://yuimasuda.hp.peraichi.com/

staff

  • Photo / Sachiko Fujiwara
  • Interview / Kazuhiro Matsushita(Comprime)
  • Text / Mayu Suzuki
  • Art Direction / Shinya Okada(Comprime)
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