女子ラグビー 東京山九フェニックス 大竹風美子

《STAY GOLD》女子ラグビー「東京山九フェニックス」特集
vol.2 / 大竹 風美

ラグビーに救われたからラグビーで誰かに勇気を与えたい。
7人制の日本代表として、この秋、自身2回目のワールドカップ出場を果たした大竹風美子。
現在23歳の彼女は18歳からラグビーをスタートし、わずか5年で女子ラグビー界の中心選手に。幼少期からの苦悩や怪我という挫折を乗り越えた現在、彼女が目指すものとは。

9月に行われたセブンズのワールドカップでは過去最高の9位。おめでとうございます。

ありがとうございます。そうですね、過去最高という部分ではいい結果だったのかなとは思います。でも、チームとしてはベスト8を目標にしてやってきたので、そこを達成できなかったのはやっぱり悔しかったです。個人的には、4年前に初めて参加したワールドカップに比べたら、ラグビーに対する視野は広がったのかなとは感じました。

ラグビーの前は陸上7種競技の選手だったとか。高校3年生の時にはインターハイで6位に。そんな中、どうしてラグビーの道へ?

いろいろな理由があるんですけど、まず、高3のインターハイでずっと目標にしていた記録を達成して、すごく達成感がありました。その頃、リオオリンピックが開催中で7人制の男子ラグビーを観ていたんですけど、面白そうだなって。卒業後は続けて陸上を続けるよりは新しいことに挑戦したいと思っていたので、ラグビーの世界へ入りました。 高校はラグビーの強豪校で、クラスメイトの男子はほとんどラグビー部っていう環境。当時バスケの授業中に、私はドリブルしなきゃいけないところをボール持って走っちゃったんですよ(笑)。何を考えていたのかわからないんですけど(笑)。放課後、職員室に呼び出されたので怒られると思っていたら、ラグビーをやってみないかってお誘いしてもらったんですよね(笑)。その頃は陸上に一生懸命だったけど、進路を考えている時にそういうことも思い出したりして。

最初にラグビーをプレーした時はどう思いましたか?

ルールは難しくて覚えるのは大変だったんですけど、それまで個人競技をやってきたので、単純に嬉しかったです。味方がたくさんいて、みんなで一緒にピッチに向かうっていうのが、すごく楽しかった。陸上だったら1人でトラックに向かって、1人でスターティングブロックをセットして、1人でスタートを待つから。「チーム競技最高!」って思いました。

東京山九フェニックスはどんなチームですか?

フェニックスは、グラウンド内でも外でもすごく楽しく、明るくやっているチーム。アットホームな雰囲気もあるし、本当に純粋に楽しいです。みんなすごく個性的で性格もバラバラだけどお互いを認め合っていて、だからこそチーム力も高い。外国人選手もいますし、私はハーフで2つの血を持っているので、そういう部分で架け橋のような存在になれたらいいなって思っています。あと、チームが上手くいかなかった時とか歯車が狂った時に、盛り上げていける、ポジティブな選手でもいたいなと思います。

ラグビーの魅力とは?

小学生のときは容姿のことで差別などもあり、自分自身があまり好きではなかったんです。クルクルの髪もコンプレックスでした。「肌色」って色鉛筆があるじゃないですか。あれにもすごい違和感があって、私の色じゃないけど「肌色」って書いてある。でもそれを使うと「違うじゃん」て言われたり。泣きながら家に帰ったこともありました。
中高に行って陸上で成績は残せたけど、やっぱり自分に自信がなくて内気な部分があったんです。ラグビーをはじめて本当に嬉しかったのが、先輩たちがこのクルクルの髪を「かわいい」って言ってくれたり、ハーフであることに対して「羨ましい」って言ってくれたこと。
これは私の見解ですけど、ラグビーを長くやっている人って、小さい頃から海外のラグビーを見ることが多かったんじゃないかな。小さい頃から世界を見ているから、私のような存在が来てもびっくりしないし、受け入れてくれる。そのままでいいんだよって私を肯定してくれたんです。
それから、今代表でプレーさせてもらえているのは、自分の努力もあるけど、きっと持って生まれた身体能力の部分もあると思うんです。それをラグビーが気づかせてくれたんですよね。だから、本当にラグビーに出会えて良かったなって思います。

ラグビーをはじめてから辛かったことはありましたか?

東京オリンピックを目指していた時、大会の5ヶ月前に怪我をして出られなかったので、その時は本当に空っぽになりました。オリンピックのことばかり考えていたから、それがなくなった時に何もなくなっちゃって。その時に学んだのは、もちろんオリンピックも大事だけど、目の前の大会や試合に焦点を置くのはすごく大事だってこと。目の前の試合で、自分の100%、最大限を出す。段々とその階段を上っていった先に、オリンピックとか、ゴールがあるんだっていう考え方に変わりました。

怪我を乗り越えて思うことは?

その時の怪我は自分のなかですごく大きかったです。でも、活躍することだけがスポーツじゃない、というか。もちろん、オリンピックに出てメダルを取ったらすごいことだけど、それだけじゃないなと。挫折とか困難があっても、それを乗り越えてまたグラウンドに立って再起した姿を見せる、というのもスポーツの魅力だと思うんです。だから、苦しんでいる人とかにも寄り添えるような選手でいたいなと思います。結果が全ての世界かもしれないけど、そうだけじゃないよっていう部分は持っておきたいなと。

最後に、今後の目標を教えてください。

今は前回出場できなかったオリンピックを目指して、日々練習しています。自分のプレーしている姿で、誰かを元気付けたり勇気付けてあげられたりできる選手になれたら嬉しいですね。辛い思いしている人もいると思うけど、絶対笑える時が来るからねって。来春からのセブンズのシーズンでもしっかりチームに貢献して、もし今後も代表として戦えることがあったら、そこで得たもの経験もチームに還元したいなと思います。フェニックスは本当にあたたかいチームなので。

東京山九フェニックス

2013年に設立された女子ラグビーチーム。
チームメンバーは仕事や大学での勉強をしながら、ラグビーと向き合っている。当時は練習場所もなく、渋谷区にある小学校の校庭を借りて練習を実施していた。現在は、神奈川にあるグラウンドを使用しているが、設立当初よりチームの拠点は常に渋谷区としている。
常に最先端の情報や文化を発信し続ける、ダイバーシティーの街「渋谷」。チームスピリットとして、「ダイバーシティーの街、渋谷発のデュアルラグビーチーム」として、新しい女子スポーツ文化を創造し、渋谷から世界へ女子ラグビー文化を発信していく。チームの母体は2002年に作られていて、来年で20周年を迎える。15人制においても、7人制においても、日本代表選手を常に輩出している。監督は元日本代表選手の四宮洋平。2019年度より、山九株式会社がネーミングライツスポンサーとなり、<東京フェニックス>から<東京山九フェニックス>に名前を変更している。

東京山九フェニックス 公式アカウント

profile

大竹 風美子 / Fumiko Otake
1999年、埼⽟県川⼝市出⾝。
東京⾼では7種競技で⾼校総体6位。⽇本体育⼤学を経て、2021年より東京⼭九フェニックスに参加。7⼈制⼥⼦ラグビーの⽇本代表(サクラセブンズ)として、2018年のワールドカップ・サンフランシスコ⼤会(10位)とアジア⼤会(優勝)、2022年にはワールドカップ南ア⼤会(第9位)に出場。ポジションはWTB。
プライベートはメイクアップが⼤好きなフェニックスのオシャレリーダー。

instagram@fumiko_otake02 x@fumichoco_2350

staff

  • Photo / Sachiko Fujiwara
  • Interview / Kazuhiro Matsushita(Comprime)
  • Text / Mayu Suzuki
  • Art Direction / Shinya Okada(Comprime)
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