女子ラグビー 東京山九フェニックス 田坂藍

《STAY GOLD》女子ラグビー「東京山九フェニックス」特集
vol.1 / 田坂 藍

田坂藍のラグビー人生、マネージャーとしての第2章
今春、現役を引退した田坂藍。現役時代は、7人制、15人制ともに日本代表として活躍し、2015年にはサクラフィフティーンのキャプテンも努めた彼女。現役最後の1年間を過ごした「東京山九フェニックス」で、この春からチームマネージャーとしてセカンドキャリアをスタートさせた。
そんな彼女が愛する女子ラグビーのクラブチーム「東京山九フェニックス」について話を聞いた

まずは、ラグビーとの出会い、それまでのスポーツキャリアを教えてください。

埼玉の浦和で生まれたのですが、親が浦和レッズの熱狂的なファンだったこともあって、高校まではサッカーをやっていました。体育の教員になろうと思って日体大に進学したのですが、そこでラグビーに出会いました。
4年生の時に全国大会で優勝して、その頃7人制の日本代表候補にもなっていたのもあり、ラグビーを本気でやろう、と。そこからはどっぷりラグビーにハマっています。

大学を卒業してからはアルカス熊谷に7年間在籍されていたと。
長年在籍したアルカス熊谷から東京山九フェニックスに移籍した理由は?

まず、30歳で競技を引退しようと決めていました。その最後の時間、もうひとつ違うステップを踏んで、新しい環境で思いっきりラグビーをして終わりたいなと思ったんです。違うチームから見ていた時、フェニックスはすごく楽しそうにラグビーをやっていて、いいチームだなと私から声をかけたんです。

すでに、その時には引退後のセカンドキャリアとして、
マネージャーになる道も見据えていたのですか?

元々、セカンドキャリアはマネジメント系の仕事に就きたいとは思っていました。現役中所属先であった赤城乳業株式会社では、総務部で裏方とか事務的な仕事を学んでいたので、自分が活かされるのはそういうところかなと。
チーム合流時点では、フェニックスでできるとは考えてなかったんですけど、自分の経験をプレー面だけじゃなく、もっとチームに還元できたらいいなと思ってこの道を選びました。

チームマネージャーとして、現在の田坂さんの役割は?

多岐に渡ります。今回のような取材の窓口とか広報的な仕事もしますし、スポンサーさんのところに挨拶へ行ったり、試合に行く時の用具の準備とか、現場ではビデオ撮ったり、一緒に練習をやったりもします。その場に応じてチームをフォローする感じですね。

裏方に回ってみて、心境の変化や、チームメイトとの関係性に変化はありましたか?

引退して3ヶ月くらいは、プレーに対してまだいけるかな!?と思ったりすることもありましたが(笑)、今はないです。プレーに関して、アドバイスできることはしたいなっていうスタンスになりました。チームメンバーとの関係はあまり変わらないと思います。選手がどう思っているかはわからないですけど(笑)。運営に関わる身でもあるので、線引きはしていますが、プライベートな話も普通にするし、以前から変わらず、「みんなのお姉ちゃん」みたいな感じだと思います。

東京山九フェニックスのイメージは、入団する前と現在で変わりましたか?

フェニックスは、すごく楽しくラグビーをしているチームだなという印象でした。練習前はワイワイそれぞれ学校の教室みたいな空間なのに、練習が始まったらとても真剣に激しく練習していて、そのギャップに正直驚きました。というのは、フェニックスのみんなはオンとオフの切り替えが上手なんです。ラグビー漬けになってラグビーだけをやっているというより、他の趣味も遊びもあるんだけど、「一生懸命にラグビーをやりたいからやっている」という感じ。それがすごくステキだなと思います。ラグビー人生の終盤でフェニックスに入り、そういう感覚に触れられて良かったなと思います。

チームのフィロソフィー<STAY GOLD>について教えてください。

今シーズンに新しく決まったスローガンです。それまでは<滾る(たぎる)>という「思い切りやる!」という意味合いでした。それでやってきた結果、今年初めて総合優勝することができて。「これからも輝き続けていこう」、「女性としてもキラキラしている存在でいよう」という想いを込めて、選手たちで決めたスローガンです。

目指しているロールモデルはありますか?

女子ラグビーで今一番強いと言っても過言ではない、ニュージーランド代表(通称ブラックファーンズ)です。たぶん、私だけでなく日本中の女子ラグビーチームや選手たちのロールモデルだと思います。結婚している選手もいれば子供がいる選手もいて、多様性のあるチームです。ラグビーを楽しんでいて、それでいて強い、というのは最高にかっこいい!憧れの存在です。実力があることはもちろん、人間的にもステキな人であることが、多くの人に支持される人気の条件だと思うので、日本にもそういう選手が増えるといいなって思います。

7人制、15人制、両方の代表選手でもあった田坂さんから見る、日本女子ラグビーの可能性は?

体格がものを言うスポーツではあるので、日本人がどうやって勝つかというと、組織力や、日本人が一番得意な継続する力、我慢する力、いやらしいラグビーをすることに勝機があると思います。パッと見、世界のトップ4とかと比べたら私たち日本人は体格やスピードで劣ります。でも、ラグビーというスポーツだからこそ、勝てるチャンスはあるんじゃないかと思います。

まだまだ知らない人も多い女子ラグビーですが、今後どのようになっていって欲しいですか?

女子ラグビー人口の裾野を広げるのは簡単ではないと思いますが、大事なことは2つだと思っています。私が今まで女子のスポーツを見てきて、なでしこが優勝した時、一気に女子サッカーを始める子供たちが増えたのも実感しているし、そうなれば目指す環境が実現できるというのも実感している。だから、結果はもちろん、トップの選手たちがかっこいい憧れの存在であることがひとつ。もうひとつは、ラグビーをやりたいと思った時にやれる場所がもっと増えること。その2つが段々と増えていけばいいなと思います。

最後に、田坂さんが思う女子ラグビーの魅力を教えてください。

ラグビーは、いろんなタイプの選手がひとつのチームにいる競技。大きくて足はそんなに速くないけど、すごく力が強い選手もいれば、めちゃくちゃ足が速いけど力は弱い選手もいる。それぞれ強みで他の人の弱みを補う、助け合う競技性がラグビーの面白いところです。フェニックスは渋谷をホームに大人に対してのラグビーの普及活動もやっています。お父さんがラグビーを好きになって、子供が始める、みたいな循環ができればいいですよね。とにかく、観たら面白いので!いろんな人にラグビーを知ってもらって、身近に感じられるスポーツになったらいいなと思います。

東京山九フェニックス

2013年に設立された女子ラグビーチーム。
チームメンバーは仕事や大学での勉強をしながら、ラグビーと向き合っている。当時は練習場所もなく、渋谷区にある小学校の校庭を借りて練習を実施していた。現在は、神奈川にあるグラウンドを使用しているが、設立当初よりチームの拠点は常に渋谷区としている。
常に最先端の情報や文化を発信し続ける、ダイバーシティーの街「渋谷」。チームスピリットとして、「ダイバーシティーの街、渋谷発のデュアルラグビーチーム」として、新しい女子スポーツ文化を創造し、渋谷から世界へ女子ラグビー文化を発信していく。チームの母体は2002年に作られていて、来年で20周年を迎える。15人制においても、7人制においても、日本代表選手を常に輩出している。監督は元日本代表選手の四宮洋平。2019年度より、山九株式会社がネーミングライツスポンサーとなり、<東京フェニックス>から<東京山九フェニックス>に名前を変更している。

東京山九フェニックス 公式アカウント

profile

田坂 藍 / Ai Tasaka
1991年生まれ、埼玉県さいたま市出身。
日本体育大学ラグビー部・アルカスクイーン熊谷を経て、2021年に東京山九フェニックスに入団。2022年に12年間の現役生活にピリオドを打ち、現在はチームマネージャーとして引き続き東京山九フェニックスに所属する。
現役時代は7人制ではFW、15人制ではFBとして活躍し、ともに日本代表入り。女子15人制日本代表(サクラフィフティーン)では、2015年にキャプテンを務め、2017年ワールドカップ・アイルランド大会にも出場。
ニックネームはあいちゃん。

instagram@aiaiaiai15 x@airugbyyyyy

staff

  • Photo / Sachiko Fujiwara
  • Interview / Kazuhiro Matsushita(Comprime)
  • Text / Mayu Suzuki
  • Art Direction / Shinya Okada(Comprime)
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